今日学んだこと

学んだことや気づいたことなど思いついたときに思いに任せて

モラトリアム

 自分の人生であるとは思うけど、自分には持て余している。「自由という名の刑に処されている」と誰かは言っていたが、私は一理あるかもしれないと思う。一方で人間には一人一人に使命(calling)が与えられているとも思う。

 では、私の天命は一体何なのだろうか。それは私自身の主体性にかかわってくると思われる。自分の夢や志を強く持ち続けることのできる人は幸運であり、天才である。私はそうはいかない。主体的な判断を迫られているが、それを回避し続けることもできる。

 この人生を何に使うか。それは一朝一夕には決まらない。しかし、必ずそれを決めなければ人生を無駄にしてしまう。そして、私は人生を持て余す。

 与えられることの幸せを理解できない私は、今日も一日が安全に送れることに感謝しない。感謝をしないので、謙虚さも報恩の心も生まれない。親不孝者である。

 そうして人生が幕を閉じ、テスト返却の時間が待っている。